キッパリと手を切る、張り切るとパッキリン

  「ki=切」る、のフリガナは「ki」です。「ki-ppari=キッパリ」が二種類の言語から出来ていると仮定すると
「切=ki=pari=パリ」と考えられます。「キッパリと手を切る」と言いますので、「切る」を表す意味の二カ国を
並べた言葉がキッパリと考えられます。袋など中に身を詰め過ぎると「hari=張り」裂けて中身が外へ飛び出る
事もあるでしょう。マラソンなどを見ると最初の10kmで「hari-ki-ri=張り切り」過ぎて、その後に急に疲れて
駄目になる人もいるようです。英語では帽子を被るは「put on a hut」ですが、その帽子を被りなさいは「put it on」
です。「put on」が「離されて間に it」が入っています。この現象はアッカド語と日本語を比較すると分るのですが、
日本語にもそのような例はあります。名護方言では「袋などの入れ物、容器に詰め込み過ぎて破れる」すなわち
「hari=張り」裂ける状態、「はち切れる=ha-chi-ki-reru」状態を「pa-kki-rin=パッキリン」と言います。
この言葉は「pari」の間に「ki」が含まれている構造になっています。英語の「put it on」と全く同じ構造です。
「はち切れる」も同じ構造です。すなわち「ha-chi-ki-re=はち切れ」は「hare」の間に「chi=ki」が含まれている
状態です。切るの首里方言は「chi=切」ン、ですが、名護方言では「ki=切」ン、です。「h=p」ですので「hari=
pari」です。普通の物より飛び抜けて良いのを、飛び「切り」と良いと言います。飛び切り良い活躍をする人には
天「晴れ=pare」と言います。日本語の「切れる」には良い意味があるようです。良く切れる刃物は良い品ですが、
頭の良いのも「切れる」と言います。「飛び切り良い」、「天晴れ」とアッカド語の「pari」は繋がっていると考えて
良いでしょう。良い物は良い、切れ者は「やっぱり=ya-ppari」良いの「やっぱり」にも「pari」が含まれています。
水道の栓はかなり新しい発明なのでしょうか。 溜った水などを自然に出来たダム、又は土を固めたダムから「流す」
時には上から土を少しづつ「削り取る」、「切り取る」のが普通の方法だったのではないでしょうか。「水を流せ」
の名護方言は「parasie'=パラシェー」です。一塊の物を「barasu=ばらす」と散り散りバラバラになって散って
いきます。

アッカド語では次の通りです。

para'su = 切る、切り離す、英語では cut, cut off